
- Vol.12
- 10.03.22
受け入れる過程の物語

先ごろ映画化もされた「ラブリー・ボーン」という小説があります。
これはたった14歳で殺されてしまった少女が、死んだ後も家族や友人達を見つめ続けていく内容です。
殺されたわけですから、犯人もいるというところでミステリー的要素も強いのですが、メインで描かれていくのは家族の崩壊と再生の過程。
最初の印象では子供を失った後に家族がもっと強い結びつきをするものだろうと思っていました。しかし、話を理解するにつれて、家族がゆっくりと壊れていく様の描写が多いことに気づきます。
でも、だからこそ、この物語は全世界で1000万部以上の売り上げを残したのです。
家族、しかも愛する娘が無残に殺されてしまうのですから、家族が無傷で済むわけはありません。全編にわたりファンタジー色が強い仕上がりなのにリアリティがあるのは、その崩壊があまりに淡々と描かれているからでしょう。
愛する娘が殺され、そのままの形でいられるはずがない。けれど、再生が絶対にできないわけでもないことを教えてくれます。そのためには、形を変えることや時間がかかることも読ませてくれます。
殺された少女は幽霊となって、本当によく家族のことを見ています。
残された家族は苦しくても立ち直っていかなければ、少女はもっと報われなかっただろうと感じました。
亡くなった人が長くこの世にとどまり、私達を見ていると考えた時に、果たして胸を張れる結果や過程を残しているだろうかと問いかけたくなる作品。
私は最初このタイトルを見た時に、ボーンというのを「生まれる」という意味にとっていました。つまり、愛しい誕生と思っていたのです。子供の誕生はまさに愛しさの誕生でしょう。
しかし、本を読むとそれが骨を表す「ボーン」だとわかりました。「かわいい骨」という意味です。そして、主人公は自分がいなくなった後、ラブリー・ボーンによって、家族にさまざまなものが生まれたと語ります。絆という言い方もしていました。
「ボーン」という言葉(つづりは違います)が、骨と誕生を意味することの深さを感じてしまいます。生まれることも死ぬことも、同じなのかもしれません。生まれることで終わること、死ぬことで始まること。それぞれあるでしょう。
何より強く印象に残ったのは「受け入れる」ということの過程こそが家族の再生だったということ。
生きていくことは受け入れることの連続で、死ぬこともやっぱり受け入れることの延長線上にあります。
誕生も死も受け入れながら、人生が流れていくのかもしれない。
そう思えた物語でした。
最後の方で主人公は自分のいなくなった世界を抱きしめることができるようになって、みんなのもとから放たれます。誰かがいなくなった世界を抱きしめること、自分のいなくなった世界を抱きしめること。自分にその日が訪れた時、そうできる強さを獲得できるようにと願わずにはいられません。
「ラブリー・ボーン」アリス・シーボルト著
コラムニスト : 日野光里
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