感動コラム

Vol.23
10.06.21

古代の山城造りに携わった名もなき人々

〜『大野城物語 タスケ岩の伝説』を読んで〜

 福岡市の南に位置する大野城市。その東方の山、四王寺山には日本最古の山城「大野城」(特別史跡)が残っています。
大野城市では来たる9月「古代山城サミット」を開催。さらに古代山城サミット実行委員会は「大野城物語 タスケ岩の伝説」という大野城の築造にかかわったタスケという一農民を主人公にした創作物語を発行しました。

 そもそも大野城はなぜ築かれたのでしょう。それは660年、日本の友好国だった百済が唐・新羅の連合軍によって滅ぼされたことに端を発します。朝廷は百済を救うために約2万7千人の軍を派遣しますが、663年の白村江(はくすきのえ)の戦いで敗退。その後、唐・新羅の侵攻を恐れ、大宰府を守るために664年に水城を、665年に大野城を大急ぎで築いたのです。

 四王寺山は頭頂部がすり鉢状の山。そこで山の頭頂部をぐるりと囲む8.6kmの土塁と、谷の部分に石垣が造られました。

 今も残る土塁の上を歩いてみました。「大野城物語」の中でタスケたちが来る日も来る日も土を運び固めて築き上げた土塁は木々に覆われた気持ちの良い山道として残っています。そして谷を塞いだいくつかの石垣の中でも圧巻の、長さ約180メートルもある百間石垣の前に来ると、その壮観な眺めに絶句します。このようにスケールの大きな石垣が古代に短期間で造られたということに驚くばかり。国家存亡の危機に見舞われ、なんとしても大宰府を守りぬくという朝廷の意志の表れでしょう。物語の中でタスケはようやく完成した石垣を水害から身を挺して守ります。タスケは当時、公役(くやく)に駆り出された近隣の多くの民の一人にすぎません。実際にこのような急峻な石垣を作る過程では多くの怪我や死者が出たことでしょう。でも彼らの仕事は素晴らしいもので、1350年近く経た今もその姿を残しています。吹き渡る風の中で、石を積み上げた人々の息吹を感じると、この史跡の尊さを思うのです。

コラムニスト : リリア・フロントフィールド

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