
- Vol.27
- 10.08.02
風浪宮という神社

現代の大型客船の船旅は大海原を安心して航海できる快適なもの。
でも、小さな漁船が時化の海で遭難する事故があとを絶たないのも現実。
操舵が機械化された現代でそうなのだから、古代、大陸を目指して航海していた人々は一つひとつの航海がまさに命がけでした。
数々の伝説を残す神功皇后(じんぐうこうごう)は1800年前、新羅出兵のために船出をしました。
無事帰還して船を寄せたのが筑後葦原の津(福岡県大川市)。そのとき、皇后の船に1羽の白鷺が現われ、飛び去っていきました。皇后はその白鷺は航海の安全を守り、勝運の道を開いた少童命(わだつみのみこと)の化身だと信じて、武内宿禰(たけうちのすくね)にあとを追わせました。すると白鷺は1本の楠にとまっていました。神功皇后はその地を聖地として仮宮を作らせたのですが、それが大川市にある風浪宮(ふろうぐう)ということなのです。
白鷺が止まったという木は、今もご神木として大事にされています。樹齢約2000年の堂々たる大樹は今も勢いよく葉を繁らせ、神木としてあがめられるだけの精気を放っています。
立派な本殿は国指定重要文化財。中に大きな木造の像があり、見慣れないその像はどなたなのかと思って下の説明書きを読んで驚きました。その方は阿曇磯良丸(あずみいそらまる)。磯良丸は神功皇后出兵の折に従い、船団の指揮を取った熟練の海士(あま)というのです。帰還後、風浪宮の初代神官としてこの地に留まります。そしてその子孫が代々、宮司として後を継いでいるということなのです。現宮司は第67代。
日本人は船に「○○丸」と「丸」が付いた名前を付ける習慣があります。これは磯良丸の「丸」を受け継いだものだということ。
島国の日本。人々は古代から大陸との唯一の交通手段だった船の安全を願ってきました。風浪宮はそんな歴史を感じる場所。この夏、誰もが海難事故に遭わぬよう、手を合わせてきました。
コラムニスト : リリア・フロントフィールド
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