葬儀コラム

Vol.2
10.02.23

おすすめ 葬儀の事前準備 〜「迷惑だろう」などとは考えないでわがままに

碑文谷 創

葬儀の準備は「縁起が悪い」って本当?

 以前は「生前に葬儀の準備をするなんて縁起が悪い」と言われたものです。
 息子、娘が「お父さんどんな葬式したいの?」と訊こうとすると、父親に「俺に早く死んでほしいというのか」と言われりゃしないかと、なかなか口に出せない。
 反対に親が「私のお葬式について相談しておきたいのだけれども」と話を切り出そうとすると、娘や息子が「まだ早いよ。こんなに元気なんだし、縁起悪いよ」と言って避けようとしたりするケースが少なくありませんでした。
 いや、今だってこうした心配はあります。そしてどちらからも話題にされるのが避けられるのです。

 でも事情は変わってきているようです。事前に考えておきたい人、葬儀の事前相談が今急激に増えてきているのです。

葬式を知らない遺族

 亡くなってから家族が「葬儀どうしよう?」となると、どうやったらいいかわからなく、わからないということでパニックになったり、葬儀社に「何もわからないのでお任せします」と転嫁したりしがちです。

 まず家族は「葬儀とは何だ?」ということも、「こういう葬儀をしてやりたい」ということもほとんどわかっていないのが実情です。
 あるいは「葬儀について経験がある」と言っても、それから10年経っていれば葬儀もずいぶん様変わりしていて自信を失ってしまうということもあります。

遺族がしなければいけないこと

 かつては「葬儀のことを知らない」人はあまりいませんでした。
 というのは、葬式は近所の人が取り仕切る約束事でしたから、近所の方が亡くなるたびに手伝いに行っていました。
「この地域の葬式の仕方」は、何回も経験してわかっていました。自宅で葬式を出すことがあたりまえで、8割くらいを占めていました。ですから家族の一員が死亡することによって、遺された家族が精神的なダメージを受けていることも外からのぞいていつのまにか知っていました。

 それが今、葬式は葬儀社が全てを取り仕切ってくれます。全くわからなくとも心配なく葬式を出せるという点では便利な時代になりました。
 しかし、本来は遺族自身がしなければならないものまで、全部を葬儀社任せになってしまいがちです。
 例えば納棺。最後に死装束の紐を結ぶ仕事。遺体を4人くらいの男手で抱え、棺に納める。これらは遺族の仕事とされ、男手が足りないときには近所の人の手を借りました。
 昔のお通夜は1日と限られていませんでした。亡くなった当日の夜、その翌日の夜、と葬式の前日まで通夜は営まれ、遺族や親族が代わり番で遺体を見守ったのです。遺体の側にいる、というのは遺族の大切な役目でした。また、遺族が遺体と充分に一緒に過ごせるようにと、近所の人は雑事を引き受けてくれたのです。

葬儀のときは平常心でいられない

 また、いざというときに遺族が葬儀社任せになるのはわからないでもありません。
「家族が亡くなる」ということは大変なことだからです。
 事故等の突然死の場合はもちろんのこと、大病を患って医師に余命を区切られていた覚悟していたはずの死の場合でも、また、高齢だから大往生だよね、と客観的には納得しやすいような死の場合でも、いざ死に出遭うと、家族の心は大きく、激しく揺り動くものです。
 また、遺族が大きく心が揺さぶられるのは人間としてあたりまえのことなのです。

 私が87歳の父の死、それも医師から宣告されての死の場合でさえ、平静状態を失いました。周囲から言えば「大往生の死」で、あれ以上の満足な生涯の閉じ方はなかったでしょう。でも私は感情のコントロールがきかなくなりました。まさに「壊れた」状態になりました。

「家族が亡くなる」ということは、そうした「非日常的」な状況にあるのです。遺族は冷静になろうとしても冷静になれず、注意深く正確に聞いて理解しようとしてもできず、きちんと約束したはずなのに記憶に留めず、客観的であろうとしてもなれず、行き届いた配慮をしたつもりが抜けていたり...という状態になるのが「遺族になる」ということなのです。
 その時になったら冷静な判断はできないもの、と理解しておいた方が正解です。

相談の大切さ

 親と子というのはよく知っているようで知らないものです。子どもは親のことをよく知らないと言ってもいいでしょう。一緒に生活していても、家の外ではどうだったか、若かったときはどうだったかはよく知りません。
 ましてや同居していない場合、今の日常の親の交流関係はわかっていません。特に息子はわかりません。
 親と子は案外とちゃんと向かい合っては話していないものです。だから「なぜ機嫌が悪いのか」「なぜ怒っているのか」けっこうわからないものです。そして日常生活では多少あいまいにしていてもなんとかなるものです。親と子の間には自然と漠としているが信頼関係のようなものがあるからでしょう。
 一度、親は子へ、子は親へ、これまでの生涯を語る機会、聴く機会をもつといいと思います。新しい発見があるものです。
 家族は信頼もありますが、誤解するとそれだけ厄介にもなります。他人とは関係を断てばすみますが、家族の関係は切ろうと思っても切れません。だから憎みあう関係にもなりがちです。そういう場合は是非生きているうちに関係を修復しておきたいものです。

相談が難しいときは

 照れる、面倒、いまさら、と会う機会を逸してしまうときは、ノートに書きとめておきましょう。書店には「エンディング・ノート」などと名づけられて売られていますが、ノートブックでいいのです。
 子に伝えたいことを少しずつ書いていくといいでしょう。自然に大切なことから書き出し、「あっこれも書いておこう」と書き足していけばいいのです。
 こうして書かれたことで、子への、お子さんのいらっしゃらない方は託す人へ想いを伝えることができます。
 大切なのは「わがままになること」です。へたに遠慮しないで、してほしいことを率直に書きます。託されたほうは難しい注文はカットできます。
 また、「迷惑をかけるのでは」と思わないこと。「迷惑」なんて考えたら生きていけません。特に家族の死は遺される者にとってはいのちを教える「大切な機会」なのです。けっして迷惑ではないのです。

碑文谷 創(葬送ジャーナリスト)

1946年岩手県生まれ。雑誌『SOGI』編集長を務めるかたわら、死や葬送関係に関する評論ならびに講演活動をテレビ・新聞・雑誌等で展開。
著書は『「お葬式」はなぜするの?』(講談社+α文庫)『Q&Aでわかる葬儀・お墓で困らない本』(大法輪閣)『新・お葬式の作法~遺族になるということ~』(平凡社新書)『死に方を忘れた日本人』(大東出版社)『葬儀概論』(表現文化社)ほか。
監修『お葬式』『自分らしい葬儀』『冠婚葬祭暮らしの便利事典』(小学館)ほか。

ホームページ : http://www.sogi.co.jp