青山孝史さんを偲ぶ「あの人との思い出」

駆け抜けた黄金期

「子供は親の背中を見て育つ」
たとえ、それはどんな状況であっても・・・
そんなことを感じた時間がありました。

多くのファンが悲しみにくれる中、そこがまるでコンサート会場であるかのような
掛け声と熱い視線に包まれた瞬間。それはあまりにも突然に訪れた別れ・・・
ファーリーブスの青山孝史さんの最期の日、葬儀告別式でのことでした。
あの日から、6年・・・七回忌を迎えようとする、そんなタイミングで出会った、
青山さんの長男、城下カズさんは 深くしまい込んでいたこれまでに語ったことの無い
父親への想いをしみじみと語ってくれました。

aoyama2.jpg 2009年1月28日 青山孝史さんは57歳という若さでその人生の幕を閉じました。
東京は穏やかな小春日和の一日、その日に飛び込んできた思いもかけない知らせ。
「青山孝史さん死去」あまりにも早すぎるその知らせは、瞬く間に日本中に伝わり、
ファーリーブスを知らない世代にまで、アイドルとしての全盛期の彼らの活躍を
スーパースターであったその存在を、瞬時に知らしめる事となりました。

その時代、例に漏れず私もフォーリーブスのファンでした。「ジャニーズ」と言えば、
女子にとってはその年齢、年代に応じてかならずお目当てのアイドルがそこにいる、
何十年という時を経ても。それが「ジャニーズ王国」であることは誰もが認める話でしょう。

1968年にレコードデビューし、1978年に解散するまで一気に駆け抜けた第一期の
フォーリーブス時代。眩いばかりの黄金期、頂点を極めたトップアイドルであった彼らの
自信に満ちた笑顔は、「ブロマイド男性部門売り上げ1位」(1970年)の結果からも
間違いなく証明出来るものでした。そのフォーリーブスが解散し、二度とあの4人が
交わることは無いだろうと思っていたある日、突然再結成の情報が舞い込んで来ました。
リポーターとしての仕事をしていた私は、中野サンプラザで開催された、その日を
どれだけ待ちわびたことか・・・それは、再結成コンサートの初日の日でした。
リハーサルを終えて、本番まであと少し。会場前には年十年の時を経て、あの頃の
多くのファンの皆さんが今か今かと待ちわびていました。そうした中、私は高鳴る胸の
鼓動をひた隠し、会見に臨む4人の姿を楽屋の一室で待っていました。
しばらくして、姿を現したメンバー・・・
aoyama.jpg 「こんにちは~!」「お疲れさまで~す!」誰ともなく、声がして報道陣が待つその部屋へ
入ってきた4人・・・途中、当然のように4人はそれぞれの立ち居地に並びを変えながら・・・
右から、マー坊、公ちゃん、ター坊、そしてトシ坊。長い長い年月を経て、私の前に
あの頃と同じ並びで『フォーリーブス』がいます。夢のようでした。私にとっては、
子供の頃のスター、大ファンだったアイドルが、今目の前にいるのですから・・・
聞きたいことは山のようにありました。制限された時間内では聞ききれないほど。
ほとんど、私だけがインタビューしていました。何故ならば、その直後に分かったのですが、
若い記者は4人の名前すら区別が付いていなかったのです。私は心の中で叫びました。
「当時、いまのスマップ以上のアイドルだったんだから!名前くらいちゃんと覚えてきて!」
取材人としての有るまじき姿勢に憤慨して思ったものです。でも、同時に思ったのは、
「24年も経っているのだから仕方ないか・・・」思えば、記者の方の年齢と同じくらいの時間が
過ぎているのです。あのとき生まれた赤ちゃんがこの現場にて頑張って取材しているのです。
すごい時間が経っていることを実感しました。再来した現実が感謝の時間となりました。と同時に
「私はこの日の為にリポーターになったのかも知れない。」冗談ではなく、そんなことを想い、
遠い記憶と重ね、その夢のような取材を終えました。

それ以降、フォーリーブスの取材があるごとに現場に駆けつけました。あるときは、自分の番組が
カメラクルーを出していない時もインタビュー役をかって出て、現場に駆けつけることもありました。
いつの時も多くのファンが駆けつけていました。それは同じフォーリーブスファンとしては、何より
嬉しい光景で、あの当時、私が追いかけたアイドルが、素晴らしいアーチストであったことを
証明しているとも思い、誇りとも感じました。

青山孝史さん1930年(昭和5年)〜2013年(平成25年)

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青山孝史

出身地:佐賀県

1951年8月10日~2009年1月28日(享年57歳)
佐賀県出身

東京音楽学院 特待生として在籍後、
1967年 10月 フォーリーブスに加入。
     日本テレビ『プラチナゴールデンショー』レギュラー出演
1968年 9月  OBSソニー国内第1号アーチストとしてデビュー
          「オリビアの調べ/壁の向こうに」
       1970年 プロマイド売り上げ 男性歌手部門1位
          7年連続NHK紅白歌合戦出場
1972年 帝国劇場ミュージカル「生きていくのは僕たちだ」出演
   (12年の活動中シングル36枚 累計売上げ約266万6千枚)

2002年1月   再結成
         中野サンプラザでコンサート初日を迎える
         全国各地でコンサート開催

2009年1月28日 死去
    3月29日 メンバー3人でのラストコンサート開催

親としてできること・・・

『フォーリーブス』が誇りであった・・・
そう考えていたのは、ファンの方ばかりではありません。
メンバーである、青山孝史さんもまた同じ思いでした。
それは長男のカズさんから聞いた思い出話の中にそれを感じるエピソードがありました。
カズさんが20歳になる少し前のことです。その日、親子で自宅の近所を散歩していたときの事、
父である青山さんは、息子にこんな風に話しかけました。
「フォーリーブスが再結成するかも知れない・・・」
報告なのか、相談なのか・・・おそらく、そのどちらの思いも含まれた知らせ。
父の言葉を受け、カズさんは思わず、言いました。
「今でも通用するの?また夢物語で終わるんじゃない?」
カズさんが生まれる前の当時のフォーリーブスの人気は語り継がれる話で知っていたカズさん、
aoyama4.jpg でも、人の良い父親についてはそこに至るまでにも、現実にならない浮いた話をいくつも知っていた
カズさんは、父の言葉にあえてクールに応え、それ以上は具体的に話がまとまってから聞こう。
そう思ったそうです。でも、そのときに見た青山さんの表情・・・ふと、見た父の顔は、カズさんが
それまでに一度も見たことの無い嬉しそうな表情、その弾ける笑顔は まるで子供のようだったと
言います。

この話を聞いた時、私はフォーリーブスのメンバーのあるシーンを思い出しました。
それは、コンサートでの打ち上げでのことです。あるとき、私はあまりにも驚いて4人の
メンバーの前でこんな事を言ったことがあります。
「皆さん、本当にいつも一緒ですね!本当に皆さん、好きなんですね!」
お疲れ様会や打ち上げの席、広い会場や狭い場所もあります。でも、メンバーは、
どんな場所でもかならず、それぞれの顔が見えるところに位置して、座っていました。
広いスペースの際は広く場所を取ればいいのに必ず4人は同じところに座り、4人で
座るとちょっと狭いと感じるテーブルでも窮屈な中、くっついて座るなど、とにかく
離れたくないという感じなんです。そして時折、誰かがその場所から見えなくなっていると
「あれ、公ちゃんは?」「あれ、とし坊は?」
ほんの少し席を外しているだけでも誰かれともなく、そんな言葉が出てきます。
取材を終えた後など、こうした場面に何度か遭遇したことがありました。
あまりにも羨ましく、あまりにも驚いた私の言葉に答えたのは青山さんでした。
「そう、好きなの!嵯峨さん、僕達み~んな好きなんだよね!」
照れるわけでもなく、半ば自慢げにそう言った青山さん・・・
その時の、青山さんの顔はとても嬉しそうな笑顔でした。
きっと、カズさんに再結成の報告をした時の顔もそうだったのでしょうか。

そんな青山さんの曇った表情を一度だけ見たことがありました。
それは、カズさんの事についての話をした時の事です。場所は、コンサート後の
打ち上げの会場でした。青山さんの側にご家族、お子様方がいて、少し離れた所に
長男のカズさんがいました。長身で青山さんにも似た整った顔の青年・・・
たくさんの人の中でのひときわ目立ち、オーラを纏っていた、カズさん。
「嵯峨さん、あそこにいるのが、僕の息子なんだよ・・・。」
特別に何を伝えるわけでもなく、ただそう教えてくださった青山さん。でも、その時、
何かそのあとに続く青山さんの気持ちの陰りに気が付いた私は、会話を続け、
「へ~~。素敵な青年ですね!」と言うと・・・
ふと感じた、私の思いが間違いではなかったと、そのあとの言葉で確認出来ました。
「今ね、息子はニューヨークに行きたいって言ってるんだよ・・・」
やはり、そうでした。何か、カズさんのことで、青山さん自身が悩んでいることがある、
それが、この事でした。私は心の中で呟きました。「なるほど、そういうことか・・・」
そして、こんな風に切り出しました。
aoyama5.jpg 「へぇ~~、スゴイ!イイじゃないですか!男の子だし、何でも勉強ですよね!」
「・・・そう思う?」
「はい、思います。えっ、行かしてあげないんですか?」
「いや、どうしようか考えてるんだ。」
「えっ!絶対いいですよ!間違いなく、何かを得ることが出来ますよね!」
「そうかな・・・」
「そうですよ、失敗したらしたで、それもまた勉強。行かないより絶対イイ!」
「そうか・・・そうだよね。」
短い会話でした。でも、カズさんを思うが上の大切なやり取りのような気がしました。
その時、ふと私は一瞬の寂しさも覚えました。それはかつての私の憧れであった、
アイドルスターが、その場ではただただ父親として心配でしかない顔を見せていたから。
でも、そんな表情を見せた青山さんからは、人としての優しさや父としての思い、
そして何よりも取材を通して少なくとも私に、少々の信頼も寄せてくれていたのかな、
と思え、嬉しいとも感じる時間となりました。カズさんには今回その時の話をお伝えしました。
少し離れたところで青山さんと私が勝手に会話していた内容なので、もちろん、
カズさんは、知る由もない話です。
「えっ、そんな話をしていたんですか?」
カズさんは、初めて聞く生前の父親の話を多少驚いた表情で受け止めていました。
男同士、親子と言えども、いえ、親子だからこそ、おそらく、言葉の無い対話も多々
あったことでしょう。でも、あの時の青山さんは、間違いなく、子を思う、子を守ろうとする
厳しくも優しい父親でした。

青山さんが子を思う気持ちに触れたあの時間、あの時の光景は、今でも私の記憶に
映像のままで残っています。そして、あれから十数年経ち、今度はそのカズさんから、
父親への気持ちを聞くことになりました。生前、カズさんは、父『青山孝史』のあるべき姿を
壊さないように生きてきた自分がいたと言います。
『青山孝史』の息子である期待やイメージ、それを守って生きる自分がいたのです。
気が付けば父と同じ音楽の道へ進んだカズさんですから、人は比べることもあるでしょうし、
そうした事に応えなくてはならない宿命もおのずと感じていたのでしょう。
もしかしたら、「ニューヨークへ行きたい」、カズさんがそう思ったのはそうしたことからの
ささやかな抵抗だったのでしょうか・・・でも、今ようやく、そんな父親から離脱することが出来、
無理せず等身大の自分をさらけ出せるようになったと言います。
だからでしょうか、今回久しぶりに会ったカズさんは、以前の畏まった硬い感じの彼ではなく、
その表情はとても柔らかく自然で豊かになったように感じました。
これからは、フォーリーブスの『青山孝史』の息子としてでなく、ひとりのアーチスト『城下カズ』として、
歩んでいく、そんな自信も溢れているようにも見えました。

shiroshita.jpg カズさんの表情が豊かになったこと、そこにはある理由がありました。
今、カズさんは、父親とのさまざまなシーンで体験した際の親側が思う気持ちが少し理解出来るように
なったのではと思うのです。何故ならば、カズさんがもうすぐ"父"となるから。
父親の背中を見て、自身の人生を送っていたカズさんが、自らが背中を見せる父親になる日が来るのです。
そう、青山さんのお孫さんが誕生するのです。そして、生まれてくる赤ちゃんは"男の子"だそうです。

思いもしないニュースに、私はなんだか、嬉しくなりました。
誕生する赤ちゃんは、きっと青山さんの何かを受け継ぐ男の子になることは間違いないでしょう。
子供の頃、大人同士の都合で離婚した両親の間で、カズさんは人知れず、我慢もし、側にはいない
父の背中を意識して歩んだ日々も少なくないでしょう。
でも今は、そうした父が生きた轍もすべて許そうとしている一人の息子でした。
そして、「誰かの為に生きる」、それが自分のこととして理解出来ていると カズさんは言います。
真面目で頑固で反骨精神があって、生きることに不器用だった青山孝史さん。そんな父親に自分も
似ていると言う カズさん。いま、こんな風に思っているそうです。「父親が大好きだった」と・・・・

少し遠いところから、きっと青山さんは、お孫さんの誕生を見守ってくれていることでしょう。
青山さんが、あのター坊が"おじいちゃん"だなんて、ちょっと不思議な気がしますが・・・
いつの日にか、生まれてくる、きっと、青山さんにも似た"男の子"には、
アイドルでスーパースターであった、おじいちゃまのことを誇りに思って生きてほしいと思います。
今後は、カズさんがその背中を息子に見せて・・・
魂の伝授です。

aoyama3.jpg 「青山さんは幸せな人だったなぁ・・・」
ふと、そんな風に思いました。

七回忌の前に嬉しい報告が聞けそうです。
お孫さん誕生の日、その日はきっと ター坊も笑顔でいると思います。
嬉しい知らせが、少しだけ優しさを運んでくれました。

城下カズ(しろした かず

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城下カズ

出身地:東京都
1982年8月4日 東京都生まれ

1999年 17歳の時、5人組の初バンド「VIRUS」結成
2000年 ロンドンでレコーディングを行う。
2001年 BMGファンハウスよりメジャーデビュー。
2002年 初ワンマンライブ開催
2003年 父親(青山孝史)と親子ライブ開催。
2009年 父親他界。
2013年 シングル「Fly Away~ボクは再生する」
       ファーストアルバム発表。
       来春リリースのアルバム制作。

嵯峨 聖子のご紹介

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3月2日生まれ/A型
文化女子大学 生活造形学科中退
大分県別府市生まれ、兵庫県尼崎市育ち

ヴォイストレーナーの第一人者である大本恭敬氏を師に持ち、土居甫氏にダンスを伝授された嵯峨聖子は、歌手としてデビューし、全国高等学校サッカー選手権大会歌として、現在も幅広い世代に親しまれている「ふり向くな君は美しい」などを発表。
また「別れても好きな人」でヒットした「ロス・インディオス」の女性二代目ボーカリストとして参加。その後、テレビ番組でのアシスタントやラジオDJを経て、ワイドショーを中心としたリポーターとして活動を始める。
911NY同時多発テロなどの事件、著名人の葬儀、巨人軍のキャンプの中継など、幅広く取材を担当した。
「唄うように語り、語るように唄う」をモットーに、説得力ある魅力的な「声」と「語り口」で人気。
2010年6月より福岡放送『めんたいワイド』の芸能コーナーにレギュラー出演中
趣味は映画鑑賞、音楽鑑賞、野球観戦、旅行、料理、詩作、絵画。

嵯峨 聖子HP http://www.sagaseiko.com/