シルヴィアさんを偲ぶ「あの人との思い出」

 いつまでも、あの笑顔で・・・

デュエットソングの代表曲『別れても好きな人』
100万枚以上を売り上げるミリオンセラーの大ヒット曲となった、
この曲の歌い手と言えば、歌好きな方はそのタイトル通り忘れる事のない

『ロス・インディオス&シルヴィア』

このヒットの貢献者であるシルヴィアさんが昨年、肺がんで亡くなったのは、
多くの人に衝撃を与えたのではないでしょうか・・・
何故ならば、人一倍のバイタリティーを持ち貪欲にあらゆることに挑戦し
日々生きた彼女には病気などは程遠いところの話に思えたから・・・

シルビア0009.jpg 加えて、まだ52歳と言う若さ・・・
女性としてはこれから もうひと花咲かせて・・・
きっとそんな思いがあったはずだから・・・

私がシルヴィアさんと出会ったのは、まだお互いが何も形づけられていない10代後半の頃。
忘れもしない、レコード会社ポリドールのスタジオでの事・・・
これが、のちに一代目のロス・インディオスに参加する女性ボーカル、
『シルヴィア』を決めるオーディションのテストだったと思う。
今年3月、生きていれば53回目のお誕生日を迎えるはずであった彼女・・・
しばし、当時の彼女のあの表情を思い出し『シルヴィア』を偲びたいと思います。

gnj1011300504005-p1.jpg シルヴィア 2010年11月28日 肺がんの為、死去(享年52歳)

昨年秋、シルヴィアさんの訃報を伝えるスポーツ新聞は一面で大きく取り上げ、
その日の情報番組は番組の最初のニュース項目としてその事実を伝えました。 
その彼女の歴史の一ページを開く事になったのは、まさしく『別れても好きな人』
その曲のヒットと共に幕を開けたのです。

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1979年のリリース曲『別れても好きな人』は、元々は既成の曲で、
当時所属していた小澤音楽事務所の小澤淳社長が「男女のデュエット曲にしょう!」
と考案した事から、そのストーリーは始まりました。
その頃、私は日本テレビ音楽学院でザ・バーズの一員として高校サッカーの歌『ふり向くな 君は美しい』をリリースしたあと、日本テレビの歌番組のアシスタント等に出演してました。

その学院へ突然姿を見せたのが、シルヴィアさんと同じ年の昨年3月に他界された小澤社長でした。
その社長のもと、目黒区のポリドールのスタジオへで出かけたのは、
それから数日後の事だったでしょうか。
そこには、すでにスタンバイしていた、ロス・インディオスのリーダー棚橋静雄さん初め、
メンバーの皆さん。
そして、松田理恵子さん、そう、その後『シルヴィア』となる彼女でした。

51SpdzUgoPL__SS500_.jpg 当時、現場での様子が詳しく飲み込めなかった私。
しかし、シルヴィアさんは当時から場慣れしていた感じ・・・
すれ違う瞬間、おそらくキョトンとしていた私にあの笑顔、
シルヴィアスマイルで顔を向けてくれた彼女・・・
その時の事は今でも鮮明に覚えています。

その後、彼女がロス・インディオス一代目女性ボーカル、シルヴィアとしてデビューし、
『別れても好きな人』が大ヒットするまでには、さほど時間はかからなかったと記憶しています。
私は、「ロス・インディオスのおじ様のメンバーと並ぶと少し幼く見える・・・」
そんな理由で「嵯峨聖子」は、その後、小澤社長の記憶にしばし納められ、それから数年たった後、
二代目女性ボーカル結成まで持ち越され、その後の別の歴史が作られる事になったのです。

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シルヴィア1958年3月21日 - 2010年11月28日

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シルヴィア(本名:松田 理恵子)

出身地:大阪府

1958年 3月21日生まれ

元実業団のバレーボール選手
大阪の佐川満男さんのお店で歌っている所をスカウトされる。

『ロスインディオス&シルヴィア』初代女性ボーカルとして
1979年「別れても好きな人」ミリオンセラーヒット
その後、「それぞれの原宿」「うそよ 今夜も」等リリース。
一躍スター歌手の仲間入りを果たす。

1982年「アマン」(菅原洋一さんとデュエット)
その後、ソロ活動・・・

第31回から第34回まで、NHK紅白歌合戦に連続出演。
晩年は自作のご当時ソングなどを自主制作しコンサートなど音楽活動を続ける。

2009年5月 精密検査で肺がんである事が判明。
2010年11月28日 都内の病院にて死去。


 

癌の告知・・・・母として

さて、そんな私がシルヴィアさんを想うとき・・・
まず初めに想うのはいつも真面目で一生懸命な頑張り屋さんであったと言う事。

今回、シルヴィアさんの愛した一人息子、中山貴大さんにお話を伺わせて頂きました。
その息子さんから見ても、「母はいつも真面目で頑張っていた・・・」
そんな同じ思いの言葉が聞かれました。
それを一番に物語る出来事は最後の最後、彼女が息を引き取るその最期に起きました。

シルビア0006.jpg 体調が悪く咳き込むようになったシルヴィアさんが、精密検査を受けたのは、
2009年5月・・・
当時、息子の貴大さんはまだ高校3年生。
有名私立高校の全寮制の野球部に所属し、夏の甲子園を目指し、その予選会の為、
泥んこになりグラウンドを駆け回っていたときの事でした。

母親の体調の事はなんとなく知らされていたものの、まさか「癌」であることなど知る由も無く・・・
シルヴィアさんもまた、高校球児にとって今が一番大事な時季である息子に、病気のことなど、
話せるわけもなく、告知された病いの事はしばらく黙っていたと言います。

その後、野球の試合は勝ち進んだものの予選の決勝で敗退し甲子園への夢破れた貴大さん・・・
高校最後の試合を終え母の待つ自宅に戻った貴大さんが、
母の癌のことが告げられたのは帰宅した翌日だったと言います。

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「・・・・でも、頑張るから!」

そう語る母の様子を動揺はあったものの冷静に受け止めたと言う貴大さん・・・・
彼もまた一緒に頑張ろう、そう密かに心に決めた瞬間でした。

しかし、告知をされたそのときはすでにステージ4。
病魔はもうすでに手の施しようが無い状態・・・手術はもう不可能で、
何日単位でなく、何秒単位で、病魔は進行している状態だったと言います。
月一回の検診と、抗がん剤や放射線治療・・・
けれど、余命半年と言われながらも、仕事に意欲を燃やし地方にも出かけ、
あのシルヴィアスマイルを振る舞いていたのです。
そのエネルギー源はなんだったのか・・・・

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それは他でもない一人息子、貴大さんの存在でした。
今回、彼に会いお話を聞いていく中、
そんな彼女の思いが私には手に取る様に理解出来た気がしました。

家ではどこにでもいる、ただただ普通の母・・・と、シルヴィアさんをそう語る貴大さん、
でもステージでの母は人が違ったように見えたと言います。

それは癌を告知されたあとも同様で、もう立っているのも辛いはずであるのに、
ステージに立つと何事もないように綺麗に身繕いし凛として唄う母、

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そこには、代表曲『別れても好きな人』を誇らしげに唄うシルヴィアの姿があったと言います。
「その切り替えは あまりにも見事だったと見ていて思った。」
だから、癌が告知されたあとも少々体調が心配でも亡くなる直前まで仕事を取り上げる事なく、
病魔に打ち勝つパワーになるかも!とステージに立つ『シルヴィア』を見守り続けたと言います。

そんなシルヴィアさんが、病魔に侵されたあとに言った一言で印象深い言葉があります。
「私はいいのよ、やりたい事はやったから・・・。でもね、あなたの事がね・・・」
息子、貴大さんにポツリ言った言葉です。
そのあとに続く言葉が、残してゆく貴大さんへの思いである事は言うまでもありません。
母親なら、いつかは誰しもが思う事なのでしょうか・・・

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「やりたい事はやった・・・ 」
その言葉の中には、歌手としてデビューしミリオンセラーの大ヒットを出し、
歌手としての最高の舞台である紅白歌合戦に4回も出場し・・・
普通、歌手としてデビューはしてもなかなか出来ない夢を次々と達成させた、
自分自身のそうした事実を彼女はきちんと受け止めていたようです。
ただ、頭では理解し、そうは言っても彼女は、まだ52歳、
そして、一人息子、貴大さんはまだ成人にも満たない、19歳になろうとする青年です。

でも、そう告げる母親の言葉も貴大さんは冷静に受け止めていたようです。

シルヴィアさんのあの顔を彷彿とさせる、笑顔の素敵な貴大さん・・・
しかし、その笑顔の表情の裏で貴大さんはしっかりとした精神力を持ち、
その歳以上の強さを持ち合わせていると感じる・・・・
その訳は子供の頃からの、母、シルヴィアさんとの付き合い方にあったようです。
生まれて まだ貴大さんが小学校に上がる前にシルヴィアさんはご主人と離婚・・・
つまり、女手ひとつで父親の役目も果し、息子を守り育ててきたシルヴィアさん・・・
そんな母を常々見てきた貴大さんは、「母を守らなければ・・・」
早くからそう思わざるを得ない環境にあったと言います。
だからこそ晩年、病いと戦う中では立場は逆転し、今度は支えるのは自分の番。
病気と戦う母を見て、自分がしっかりしなければと思い馳せる日々だったと言うのです。

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ガン告知以降、強い今までの母親と違い時々甘えん坊になる事があったいう、シルヴィアさん。
それまでは家庭内で息子の為、何役もこなして来た彼女が今度は、
貴大さんに対して何役をも求めていたようです。
息子であり、夫であり、そして恋人であり・・・

そうした中、ある時、シルヴィアさんが貴大さんに言った一言・・・
「彼女を作ったらタダじゃおかないからね!」
勿論、冗談っぽくですが、母の思いが痛いほど理解出来た貴大さんにとっては、
冗談だけにすまされず、心に染みた一言だったようです。
子供の頃、母親の仕事先について行く事が多くあったという貴大さんは、
今では日本のほとんどの地域に行ったといいます。
仕事以外でも、母親の趣味に連れて行かされる事が義務付けられ、ある時は午前4時に起こされ、眠い目をこすり訳もわからず、海釣りに連れて行かされることもあったとか・・・

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そんな母、シルヴィアさんの気持ちを知ってか・・・
貴大さんは、闘病中の母とはなるべく多くの時間を過ごしたそうです。
普段の食事、買い物やドライブ・・・
高校から大学へ進学した貴大さんは普通この歳の男子であれば母親とはなかなか一緒にすることのない、なんでもない日常を母と子で計り知れないほどの時間を過ごしたと言います。
おそらく、それは人生一生分も・・・・
そんな貴大さんに応えようとしたからなのでしょうか・・・
余命半年と告げられていたシルヴィアさんは、その宣告からは1年半も頑張り続けたのです。
それは、医師をも驚かせるほどの生命力でした。
そして、最後の最後に見せた頑張り屋『歌手 シルヴィア』の姿でもありました。

最期は心から愛する一人息子に見守られながら息を引き取ったシルヴィアさん・・・
こんなに可愛い母想いな我が子と最期まで一緒で「彼女は幸せだったんだ・・・」と、
あらためて実感しました。
母親の事を語る、その母に似た貴大さんの笑顔がそれを物語っていました。

シルヴィアさんの戒名は・・・
『貴照院妙謡日理大姉』(きしょういんみょうようにちりたいし)

本名の理恵子から一文字、歌謡曲から一文字、
そして、貴大さんの「貴」の文字・・・
「貴大さんをこれからも照らし続けてください」そんな願いが込められているそうです。

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小学生だった貴大さんが「野球がやりたい!」と言いだしたときから、
「野球じゃなくて音楽をやりなさい!」そう言い続けていたというシルヴィアさん・・・
その野球少年だった貴大さんはいま、大学のキャンパスに通う傍ら、
将来の自分の道を見つめ、曲作りを始めているそうです。

今となっては、これが一人息子に残した彼女の唯一の遺言だったのでしょうか・・・?
いつの間にか母の思い通りにようやく音楽の道に目覚め、歩もうと心に決めた貴大さん・・・
いつも以上に目を細め、我が子を見守り続けるシルヴィアさんのその誇らしげな
シルヴィアスマイルが浮かんでくるようです。

『別れても好きな人』
この曲と共に、別れたこれからもあなたをずっとずっと思い続けている人がいます。
シルヴィアさん、どうか、安らかに・・・・


CIMG6943.jpg     別れても好きな人・・・
          別れても好きな人・・・

嵯峨 聖子のご紹介

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3月2日生まれ/A型
文化女子大学 生活造形学科中退
大分県別府市生まれ、兵庫県尼崎市育ち

ヴォイストレーナーの第一人者である大本恭敬氏を師に持ち、土居甫氏にダンスを伝授された嵯峨聖子は、歌手としてデビューし、全国高等学校サッカー選手権大会歌として、現在も幅広い世代に親しまれている「ふり向くな君は美しい」などを発表。
また「別れても好きな人」でヒットした「ロス・インディオス」の女性二代目ボーカリストとして参加。その後、テレビ番組でのアシスタントやラジオDJを経て、ワイドショーを中心としたリポーターとして活動を始める。
911NY同時多発テロなどの事件、著名人の葬儀、巨人軍のキャンプの中継など、幅広く取材を担当した。
「唄うように語り、語るように唄う」をモットーに、説得力ある魅力的な「声」と「語り口」で人気。
2010年6月より、福岡放送『めんたいワイド』の芸能コーナーにレギュラー出演中
2011年1月より、読売テレビ『す・またん!』にレギュラー出演中
趣味は映画鑑賞、音楽鑑賞、野球観戦、旅行、料理、詩作、絵画。

嵯峨 聖子HP http://www.sagaseiko.com/