北 公次さんを偲ぶ「あの人との思い出」

40年色あせないファンの想い

北公次さんのことを想いだす時・・・
私には、明確に思い出される北さんの表情がある。

顔が会った瞬間、すぐその場で立ち止まり、腰を曲げ軽く会釈して目を合わせ、
「おはようございます!」と はにかんだような笑顔で丁寧に挨拶をして下さる・・・
その両の手は、軽く腰にきちんと添えられていたでしょうか・・・
いつものその姿を私が確認した最後は、2009年に他界したメンバーの
青山孝史さんの葬儀。その日もいつもと変わらぬ北さんの姿がありました。

ごく普通の「挨拶」 そう言ってしまえば、それまで・・・
でも、かつてのアイドル時代から"フォーリーブス"ファンであった私には、
その礼儀正しさが、異色にさえ思え、今でも鮮明にその光景を覚えているのです。
けれど、その姿勢こそが北さんの人柄を伺わせるひとコマだったようにも思います。

北公次 1949年1月20日~2012年2月22日(享年63歳)
201306_01.jpg 春まだ遠い、寒かったその日・・・
私はショッピングの途中、突然一本の電話を受けました。
それは、普段からとてもお世話になっている音楽プロデューサーの酒井政利さん。
いつものお電話・・・、でも、声のトーンから徒事でないことはすぐに理解できました。
「北公次さんのこと、嵯峨さん、聞いてます?」
その時点では、その意味がまったく分からず、「何のことですか?」と、
聞き返した記憶があります。酒井さんは、フォーリーブスの育ての親。
CBSソニーの第1号歌手として華々しくデビューを飾ったフォーリーブスとは切っても
切れないご縁。その酒井さんにとってはコロムビアからソニーに移り最初にプロデュース
したのがフォーリーブス。双方にとって初のCBSソニーでの仕事だったのです。
思えば、この悲報の3年前、メンバーの青山孝史さんが亡くなった当日にも私は
酒井さんと連絡を取り、その後、出版することになる「メモリアル写真集」に続く話し合いを
持つことになるのですが、それからわずか3年でまたメンバーの訃報を聞くことになるとは
夢にも思っていませんでした。

そんな突然の訃報が届いた日・・・
気持ちがそぞろになってしまった私は、ショッピングをする気持ちは失せ、
その後何でも対応できるようにと、自宅に戻り心を静めました。そして、午後8時、
フォーリーブスのメンバーである江木俊夫さん、おりも政夫さんが会見をすると
いう情報が入り、TBSの局内へ急ぎました。最後にお二人とお目にかかったのは、
青山さんの葬儀の式場。ひとりひとり欠けてゆく寂しさは如何ばかりかと、
案じつつ、その時間を待ちました。そして記者会見場に入ってきた、ふたり・・・
江木さんは、いつもの柔らかい表情、おりもさんも落ち着きを伺わせる表情・・・
まるで悲しみは何処かにしまって臨んでいるそんなお二人がそこにいました。
201306_02.jpg それから1年経った今年の2月22日。
命日であるその日、北さんを支えたファンの皆さんが集まり、偲ぶ会が営まれました。
場所は東京の江戸川区にあるカフェ『ブルー・オレンジ』。北さんの葬儀も行われた
地元にあるカフェ、ここは北さんの奥様、静香夫人が昨秋オープンさせたお店です。 
ゆったりとした空間に並べられたブルーのソファ、待ち受ける等身大の公ちゃん人形。
サイズもそのままで、洋服も靴も北さんの愛用のものだそうです。お店のイメージカラーの
ブルーは、フォーリーブス時代の公ちゃんのカラー。そして、『ブルー・オレンジ』のオレンジは
北さんの出身地である和歌山のみかんの色。ネーミングは北さんが直感で決めたそうです。
実は、生前からここでお店をと考えていた北さんの為、静香夫人は悲しむ間もなく奔走し、
「一日も早く・・・」と、北さんの夢をわずか8ヶ月で現実に叶えたのでした。 偲ぶ会には、
この北さんの夢の空間に60人ほどのファンの皆様が駆けつけました。通常は40席ほどで
いっぱいになる店内には、ぎっしりの人、人・・・。勿論、私も酒井さんと共に出席させて頂きました。
DSCF1964.jpg 訃報から一年経ち、その存在を失っても尚、情熱を失わないファンの熱い想い・・・
勿論、これは昨日今日始まった情熱ではありません。デビューの時からと考えると
軽く40年あまりは、ずっと持ち続けている思いです。偲ぶ会に駆けつけた、ひとりひとりの人生に
北さんとの、フォーリーブスとの想い出があることをあらためて実感し私も一フォーリーブスファンと
して胸熱くしました。そして、そのファンのお一人からひとつのこんなエピソードを伺いました。
「 公ちゃんが亡くなる3ヶ月前、「高尾」に公ちゃんとファンの方々十数名で行く機会が
 ありました。かなり、体調が悪かった公ちゃんでしたが、是非ター坊のお参りをしたと
 霊園に立ち寄ることになりました。一人ずつ手を合わせた後、最後に公ちゃんが、
 「お参りさせて下さいね」 と長い長い間、手を合わせていました。ター坊と何を話して
 いたのでしょう?あの時の細くなった公ちゃんの後ろ姿が焼きついています。」
201306_06.jpg 公ちゃんはター坊が大好きだったそうです。
「ター坊がいないとフォーリーブスじゃない。」静香夫人にも常々そう話していたそうです。
四枚の葉っぱは、どれが欠けても存在し得ないのは分かります。そのことを現実として
一番感じていたのは、公ちゃんだったのでしょうか。ター坊が亡くなった後、北さんがソロの
活動に重きを置いたのも、そんな寂しさとの裏返しだったのかも知れません。今となっては、
それが北さんならではの優しさの表現であり、青山さんへの想いだったようにも感じます。

北 公次さん1949年(昭和24年)〜2012年(平成24年)

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北 公次(松下公次)

出身地:和歌山県

1949年1月20日 和歌山県田辺市生まれ

1968年 フォーリーブスのメンバーとして
      「オリビアの調べ」でデビュー
      日劇ウエスタンカーニバルに出演(1972年まで連続)
1970年 第21回NHK紅白歌合戦 (以降7年連続出場)
      「あしたが生まれる」で初出場
      男性歌手部門年間ブロマイド売り上げ一位を記録。
1971年 TBS「ロッテ歌のアルバム」レギュラー出演
1972年 テレビ東京「歌えヤンヤン」メインレギュラー出演
1973年 フジテレビ系列「ボクは女学生」主演
1974年 東宝映画「急げ!若者」フォーリーブス主演
      NHK「レッツゴーヤング」初代レギュラー出演
      日本テレビ「カリキュラマシーン」出演
1976年 「踊り子」日本歌謡大賞特別賞受賞
1978年 フォーリーブス解散
1983年 映画「竜二」出演
2002年 フォーリーブス再結成
      3枚のシングルとアルバムを発表。
      全国各地でコンサートを開催。
      同時にソロライブ等、個人活動にも積極的に取組む。
2007年 ファーストソロアルバム「Mother」リリース
2012年 セカンドソロアルバム「やさしくやさしく」リリース

2月22日肝臓がんのため、死去  (享年63歳)

やさしく やさしく・・・

「あとどれくらい生きられますか?」
2011年の8月、尋常でない腰の痛みを感じ、病院で診察を受けその検査結果が出た際、
肝臓がんであることを告げられた北さんは、即、担当医に余命の時間を聞いたそうです。
病状はかなり深刻なものでした。すでに手の施す手段が残されていない状態でした。
けれど、慌てる様子もなく、淡々と現実を受け止めた北さん・・・
そして、その日から一日一日、一分一秒と自身の命の炎と向き合う時間が過ぎていきました。
そのひとつには「自らが向き合う命」と「無念に散った命」を重ねながら仕上げたCDの制作。
北さんが作詞を手がけレコーディングした 『やさしく やさしく』は、残されたファンへの魂の宿った
遺品でもあるかのように命と引き換えに誕生しました。その歌詞カードの冒頭、東日本大震災で
被災された方々へのメッセージ、そして、ファンの皆様への思いが綴られています。そして、
文章の最後に北さんはその後に起きうる現実を案じ、永遠のメッセージを送っていたのです。
201306_04.jpg 「 ファンの皆様への想いを僕からのメッセージとして
 毎日が感謝の気持ちで いっぱい
 僕が フォーリーブスとしてデビューをして12年間
 そして 解散を経て 絶対にありえないと思っていた24年ぶりの再結成
 そして今
 この長い時間の流れの中では人は果てしなく変化しているはずなのに
 まるで  あのときのまま この時を越えて
 素晴らしく 何よりも辛抱強く 大きなふところで
 以前と何も変わらぬ心で僕を待っていて下さり また今も尚 ついて来て下さる
 言葉では言い表せないこの感謝の気持ちを楽曲として ファンの皆様に贈りたかった

 この 楽曲により ∞ 皆様と僕が いつでも一緒に居られます様に  北公次 」
 (『やさしく やさしく』 北公次CDより)

そして、もうひとつ、北さんはかつて所属事務所であるジャニーズ事務所の代表にも
自身のホームページを通じ、こんなメッセージを残しています。

「 そして最後にどうしても言わせていただけるなら
 ジャニーさん
 メリーさん
 ありがとうございました。 感謝しています。
 2012年2月21日 北公次 」
DSCF1969.jpg 舞台装置や煌びやかな衣装で 華々しいステージを展開するジャニーズのコンサート。
フォーリーブスも例に漏れず本場仕込の数々のミュージカルのステージを繰り広げました。
しかし、その華やかなステージでの4人の衣装は当時、メリー喜多川さんが縫っていたのだそうです。
そんな昔の出来事もずっと記憶に留め恩を忘れていなかった北さん。きっと感謝の思いを言葉にして伝えておきたかったのでしょう。
「文章が書けるうちに・・・」そんな事を呟き短い言葉に思いをしたためていたのです。

2012年1月20日、北さんの最後のお祝いとなるバースディは、多くのファンの方々との
お誕生会が行われました。会場には、全国から80人ほどのファンの皆様が駆けつけました。
実はこの時、外出をすることには、すでにドクターストップが出ていました。
何時倒れてもおかしくない病状。
会場へは車椅子で出かけました。見た目にも元気な頃とは程遠い姿・・・
静香夫人は、その姿をファンの皆様に見せることを躊躇し止めようとしたそうです。
でも北さんには何の躊躇いもありませんでした。
「最後になると思う。・・・だから行く。」
命と向き合い覚悟を決めたファンと最後の時間、最後のバースディでした。

そして、最後に北さんは静香夫人にこんなお願いをしました。
「ファンの人には病気のことは知らせないでほしい。」 そして、最後の願いは、
「北公次で死なせてほしい・・・・」
昔見た、フォーリーブスのミュージカルで壮絶なステージングを繰り広げた北さんのパフォーマンスが
ふと蘇ってきます。若くとも凝縮されたその人生は最後の最後までまさに『北公次』ならではの日々で
あったように思います。

北さんの遺作CD『やさしく やさしく』
そのタイトルのように最後まで愛するファン、そして愛する家族の優しさに包まれていた北さん・・・
周囲がそうであったのは、きっと北さん自身が優しい人であったからに他ならないでしょう。そして、
その優しさは強さあってこそのものだと確信しています。強いからこそ人に優しく察してこれたのです。
201306_03.jpg 公ちゃん・・・
貴方がいたからフォーリーブスのステージはより華やかなものになりました。
貴方のバック転には誰もが魅了されました。24年ぶりの再結成コンサートで見た53歳で連続3回の
バック転披露は全国の人に勇気と元気を与えました。
そして、その為に秘密裏に黙々と特訓し続け自身に課すハードルを上げていく姿には、誰もが感動を覚えました。

私が執筆をさせて頂いた『フォーリーブスメモリアル写真集』、その最後の青山孝史さんへの
公ちゃんからのメッセージには、「又、逢おう」と書かれています。
そう、公ちゃんはター坊が大好きでした。
"ブルー"と"グリーン"の再会が果たされ、いま二人が笑顔でいることを祈りばかりです。
201306_05.jpg 自らが望んでいたように "フォーリーブス"の公ちゃんを私達は一生忘れません。
ありがとう、公ちゃん・・・『FOUR LEAVES live in our hearts forever』
四葉のクローバーはいつまでもファンの心の中で生き続けています。
そう、これからも・・・そして、いつまでも・・・・
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嵯峨 聖子のご紹介

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3月2日生まれ/A型
文化女子大学 生活造形学科中退
大分県別府市生まれ、兵庫県尼崎市育ち

ヴォイストレーナーの第一人者である大本恭敬氏を師に持ち、土居甫氏にダンスを伝授された嵯峨聖子は、歌手としてデビューし、全国高等学校サッカー選手権大会歌として、現在も幅広い世代に親しまれている「ふり向くな君は美しい」などを発表。
また「別れても好きな人」でヒットした「ロス・インディオス」の女性二代目ボーカリストとして参加。その後、テレビ番組でのアシスタントやラジオDJを経て、ワイドショーを中心としたリポーターとして活動を始める。
911NY同時多発テロなどの事件、著名人の葬儀、巨人軍のキャンプの中継など、幅広く取材を担当した。
「唄うように語り、語るように唄う」をモットーに、説得力ある魅力的な「声」と「語り口」で人気。
2010年6月より、福岡放送『めんたいワイド』の芸能コーナーにレギュラー出演中
2011年1月より、読売テレビ『す・またん!』にレギュラー出演中
趣味は映画鑑賞、音楽鑑賞、野球観戦、旅行、料理、詩作、絵画。

嵯峨 聖子HP http://www.sagaseiko.com/